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昔の作文2(あのインド人でさえバタバタと重症化するインド型「二重変異株」への警鐘)



帰国前日の夜、同じホテルに泊まっていた若者がアイスクリームを食べて苦しんでいたので正露丸を瓶ごとあげた。数日前ついにカレーに飽きて、朝食に選んだシリアルとガンガンに沸騰させたことを何度も店員に確認したミルクで下痢してしまい助けられた正露丸だ。サラダはもちろん、水滴の付いた食器にも注意してしてたのにね。大体、3つ星ホテルでも気の抜けた瓶コーラを栓のところを掌で隠しながら持ってきて「はい今栓抜きました」だったもんね。そんな国に住む免疫力が高いスーパーインド人でも適わない敵が「二重変異株」だとすればとの想いで昔の作文をupする。


無題
後厄が終わったとたん熱を出し寝込んでしまった。気が緩んだのかもしれない。
厄年には犬が死んだ。嫁さんは「アンタの身代わりになってくれた」と泣いた。アホな事いうなと怒ったが、犬好きオバさんの「そうそう、犬というのは…」はいいとしても、法事で坊さんにニコニコ顔で「そうかもしれませんな」といわれると内心穏やかではない。
以前、犬が死んだらガンジス川に遺灰を流そうかと冗談半分に話はしていた。聖なる大河ガンジスでのヒンドゥー教徒の沐浴とか火葬の光景はとても有名だし、〇ンポコがその象徴として崇拝されるシヴァ神も、オウム事件でのニュースにたびたび登場していた。
インドでは、ガンジス川は天界からシヴァ神の頭上に降り、その髪の間から流れ始めていると信じられている。それならガンジス川の聖地バナーラスで、遺灰はだめでも写真を流し供養してやらなくては、犬は柴(シバ)犬だった。
ガイドブックには「ガンジスの聖なる水で沐浴すれば、すべての罪は浄められ、バナーラスで死に、遺灰をガンジスに流されれば、苦しい輪廻からの解脱を得る」と書いてある。本当にそんな所があるのならこの目で見てみたい。リュックに犬の鑑札をつけインド巡礼の旅となった。
午前5時の薄暗いバナーラスの街は、インド音楽と鐘が鳴り響く中、多くの人がガンジス川に向かう。路上では乞食が列をなして座り、喜捨を求めている。痩せた子を差し出す母親もいる。死を待つ老人もいる。そして運ばれていく死体。牛の糞を踏まないように歩く振りをして直視するのを怖がる自分がいやになった。
歩くたびに鳴る鑑札のチリリン、チリリンという音に西本願寺の近くの寺で住職をしている人が声をかけてきた。訳を話すと笑いながらも「いい供養になると思いますよ」といわれ涙が出そうになった。実はここに来るまでにゴキブリまみれの夜行寝台が寒かったのか、風邪をひいて40度近く熱をだしたり、こけそうになったお婆さんを助けようとして足を捻挫したり、下痢をしたりと大変だったのだ。まるで身代わりになってくれた犬の苦しみかのように。
ガンジス川に舟をだす。小さな器にローソクを灯し、バッグから取り出した写真に花をいっぱい飾って流す。遠くなる灯りを眺めながら、散歩でよその犬とすれ違っても自ら端による、なさけない姿。スズメや猫にエサを分けやってる、やさしい姿を思い出し涙がとまらない。
対岸より朝日が昇り、沐浴する人、歯磨きする人、洗濯する人、祈る人、死を待つ人、火葬場で灰になる人、聖地バナーラスを赤く染めた。

20年前からノストラダムスの1999年は厄年になるし、21世紀なんて迎えられないと信じていた。サザンの世紀越しライブであっけなく21世紀になってしまい、こんなんでええのかいなと思いつつも雑煮を食べ、元旦、2日と遠くに暮らす友人達が家族連れで遊びに来てくれたりすると、21世紀に生きていることをありがたく感ぜずにはいられない。